幼い頃は、やること為すことすべて褒められていました。

「○○ちゃん、すごいね〜!」

と歩いたり、走ったりするだけでも周りは褒めてくれました。

しかし、成長して社会に出ると「結果」を求められるようになります。

数字や金額など、目に見えるものでしか判断されなくなるため、そこまでどれだけ努力したとしても、課程自体を褒められることはめったにありません。

もちろん、結果を出すことも大切です。

社会に存在する多くの企業は利益を追求するのが目的ですから、結果を求めることは大切なことです。

結果が出なければ、従業員を養うことが困難になるからです。

ただ、何でもいいから結果を出せばいいというものではありません。法に触れる行為をして一時結果を出すことができたとしても、長くは続きません。

また、独りよがりな考え方・行為をして結果が出ることがあったとしても、それも長続きはしません。

何故だと思いますか?

常に相手がいることを忘れない

例えば、私が以前いた法律事務所で出くわした依頼者に、こんな人がいました。

裁判は当事者の利益調整の場であって、どちらが正しいのかを判断するところではありません。

にもかかわらず「俺の言うことが正しいんだ。お金なんか問題じゃない!」と息巻いて依頼をしてきた人がいました。

裁判を「自分の正しさを証明する場」と勘違いをしているのです。

近年は、書店で一般の人にも分かりやすく書かれた法律の入門書も出ています。中には専門書を読んでいる方もいらっしゃるでしょう。

ただ、大学の法学部などで学んでいないため、専門書に書いていることを自分勝手に理解してしまい、それを振りかざして弁護士に食いつく人もいます。

中途半端に法律の知識があると、余計に話がややこしくなってしまいます。

少し話がそれました。

裁判でも、一般の社会でも、何かをすると気には常に相手がいます。

裁判では、相手となる原告だけでなく裁判官がいます。いくら自分の知識が正しいと思って振りかざしても、原告や裁判所が相手にしないこともあります。

自分の望む結果ばかりを追い求めていると、相手からしっぺ返しを食らうことがあります。

あなたがあまりにも自分の正しさばかり主張するからです。

100%勝とうとする落とし穴

「窮鼠猫を噛む」

ということわざがあります。

どんなに弱いものであっても、逃げ道を塞がれてしまうと、思わぬ反撃をすることがあり手痛い思いをすることがある、という意味です。

有名な孫子が書いた兵法書でも、勝ち過ぎを禁じています。

こちらが勝って結果を出せる状況であっても、相手に対して逃げ道を、余裕を与えるようにしておかないと、反撃を受けたり、あるいは恨みを買ってしまうことがあります。

あなたは、相手を追い詰めてしまっていませんか?

あなたの正しさばかり主張していませんか?

落とし穴に落ちてしまう前に気づいてください。