大変な状況にある人に対して同情したくなることがあります。

例えば、親戚や親しい人が病気になったとします。そのとき、多くの人は、病気になっている本人に同情するでしょう。

「だって、大切な人が病気になったのだから当たり前でしょ!」

と、あなたはおっしゃるかもしれません。

しかし、同情するということが何を意味しているのかを理解しているのでしょうか?

同情することは同調すること

あなたが相手に対して同情を示したとき、あなたは相手の「悲しみ」や「恐れ」という感情に同調してしまいます。

同調するということは、あなたは本来病気でないはずなのに、相手の感情に同調することで病気の人と同じ精神状態になることを意味します。

人間の体はとても敏感です。

病院に入り医師に会った途端に緊張して、脈拍が上がり、落ち着かなくなるという「(白衣高血圧)白衣症候群」という症状があります。

健康な人であっても、病気の人が集まる場所の雰囲気を感じ、24時間緊張を強いられている医師や看護婦の様子を見ることで、体に変調をきたすことがあります。

まして、親しい人が病気であるならば、感情という心のアンテナは普段よりも敏感になっているはずです。

病気をしている親しい人と同調してしまうと、普段の生活の中でも病気のことについて考えるようになります。

「今度は自分の番なのではないか?」

という根拠のない心配に、徐々に心が支配されるようになっていきます。

「病は気から」というように、あなたが自分自身に対して病気になるように自己暗示をかけているようなものです。

そして、自分が病気になったとき

「やはりあのとき感じたことは正しかったのだ」

と思うようになってしまいます。

でも、あなた自身は病気になることを望んでいなかったはずです。なのに、病気であることを受け入れてしまうという奇妙な現象が起こります。

それは、同調した結果であるということができます。

理解は示しても同調はしない

あなたの親しい人が病気であるとしても、あなたは健康です。

親しい人本人が病気が悪くなるのではと思っていても、あなたが同じように感じ思う必要性はどこにもありません。

私の母が癌になったとき、私は母にこう言い続けました。

「100歳まで生きている姿しか想像できない」

現に、80歳近くになっても自動車の運転を毎日して、パートタイムでの仕事をするために働きに行き、週末には野菜を育てるため畑仕事もしている母です。

本人は弱気になることも言います。

癌に罹っているのですから。

しかし、その弱気になっている母に私が同調してしまったら、母は、私を落ち込ませてしまった罪悪感でさらに元気を失っていたはずです。

それがわかっていたからこそ、私は言い続けました。

表面的な言葉で言っていたわけではありません。普段の母を知っているからこそ、100歳を超えて生きている姿しか想像できなかったのです。

そのありのままを伝えただけです。

普段の生活の中でも、私は癌を克服して普段の生活に戻っている母でいることを、思い描き信じ続けました。

ただ、イメージするだけではなく、母に言葉で伝え続けていました。

私はいつも変わらない

母が病気であったとしても、私はいつものように生活して、常に信じ続けていました。

幸いにも、母は癌を克服しつつあります。

薬との相性も良いようで副作用もほとんどなく、医師もその回復の速さに驚いているようで、癌の影もレントゲンやCTで見えるか見えないかというところまで無くなりました。

たとえ母が病気であったとしても、私は変わらずにいました。

母に同情し同調してしまわないように、私の「あり方」を変えませんでした。

それがどこまで影響しているのかは、知ることは難しいでしょう。

ただ、私のあり方を変えなかったことで、母を勇気づけられたことがあるとしたら、それはとても嬉しいことです。

結局は、私自身のあり方なのです。

あなた自身のことに置き換えて考えてみてください。