「心も体も健全でありたい」

誰もが願うことです。

ただ、多くの人は「体」にばかり目を向けているので、健康食品やフィットネスなどに多くの時間を割いています。

それも正しいです。

正しいのですが、こういう言葉を聞いたことはありませんか?

「病は気から」

私たちの先人はわかっていました。体にどれだけ時間とお金をつかっても、心が健全でなかったら病に冒されてしまうということを。

行動するというとき、心だけが幽体離脱をして動き回るわけではありません。

体を使わなければ、足を使わなければ、私たちは行動することはできません。

そして、心に反して体が勝手に動いてしまうということもありません。

心で何かを感じ、頭で考えるからこそ、私たちは行動に移しています。

そう考えるとき、体よりもまず「心」を健全にしておくことがいかに大切なことか、想像に難くないはずです。

心を健全にするということ

では、心が健全であるということはどういう事を言うのでしょうか?

私たちは、日常の中で様々なことを経験し、落ち込んだり、打ちひしがれることがあります。

悩み苦しむことだって当然にあります。

大切なのは、どのように乗り越えようとしているのか、乗り越えることができたのか、ということです。

心が不健全というのは、落ち込み、悩み苦しんでいることを指しているのではありません。

悩み苦しんでいる状態から、立ち上がり、前を向こうとすることができないことを「不健全」といいます。

自暴自棄になり「もう生きている価値がない」と、立ち上がれずに後ろ向きになっているから「不健全」なのです。

今、どれだけひどい状況にあったとしても、どれだけ落ち込んでいたとしても、心がどうにかして前向きになろうとしているならば「健全」です。

その違いを理解することが重要になってきます。

健全であるために

心が健全であるために大切なことは「今を受け入れる」ことです。

「こんなはずじゃなかった」

あなたもこういう思いを持ったことはありませんか?

「あのときこうしていれば」

でも、もうそのときは過ぎてしまい、時間を取り戻すことはできません。

多くの人が後悔の念を持ちつつ日々を過ごしています。

後悔してしまうのは仕方ありません。

仕方ありませんが、そこで自分のエネルギーを使ってしまうことがどれだけもったいないことなのか、それを認識している人はほとんどいません。

後悔することと、過ぎたことに学ぶこととは天と地ほどの開きがあります。

あなたはどちらを選びますか?