心について学ぼうとするとき、必ずと言っていいほど考えるのが「瞑想」についてです。

最近「マインドフルネス」が流行りました。

私は瞑想自体を否定するつもりはありません。

否定するつもりはありませんが、マインドフルネス自体何ら目新しいものではありません。

「今、ここに集中し、評価せずに観る」

これは、私たちの先人が何千年もの間言い続けてきたことであり、ただ私たちが無視し続けてきただけです。

最近になって、あたかも新しい概念であるかのように言っている人を私は信用できません。

瞑想は特別なものではない

人は常に何かを感じ考えている生き物です。

あのブッダでさえ、6年間もの厳しい修行を経験し、その中には当然座禅を組んでの瞑想も行ったはずです。

その経験を経た後で、修行に見切りをつけたときに悟りを開いたと言われています。

要するに、瞑想をするかどうかは、心の成長という面からすると関係性が薄いと言わざるを得ないのです。

瞑想の目的を

「心の中を空にする」

ことだと考えている人が多いかもしれませんが、それは誤りです。

瞑想をするのは、宇宙の理、自然の理、人間の理に反する歪んた考えを削ぎ落とすために行うものです。

心を無にすることはできません。

無にするのではなく、善き思いで満たすためにできること何かを考えることが重要です。

瞑想などしなくてもいい

子どもの頃、夢中になって遊んでいたら、いつの間にか日が暮れていたということはありませんでしたか?

楽しくて仕方がなく、ほかに何も考えずに走り回っていたはずです。

スポーツの世界では「ゾーン」という言葉があります。

集中力が極限にまで高まった状態になり、普段以上の力が発揮できる状態になっていることを指します。

瞑想をするためには、環境を整えることが必要です。

しかし、社会に生きている限り、長時間静かな環境に身を置くことはとても難しいことです。

人里離れた山奥にでも行かない限り、無理なことでしょう。

ただ、瞑想をしなくても近い状態を作り出すことはできます。

あなたが大好きなことをするだけです。

サッカーが好きなら、プレーしてください。

ギターが好きなら、弾きまくってください。

一生懸命にボールを追いかけ、思い通りの音が出せるまで弾き続けているとき、あなたの心の中からは歪んだ思いは追い出されているはずです。

その状態になれば、瞑想しているのと同じです。

好きなことを続けてください。