私たちが恐れてしまうことの一つに「ミス」があります。

やろうと思ってやっているわけではない、でも周りからはこれでもかと責められてしまうことがある。

あなたも経験したことがあるのでは?

特に社会人になり組織に属するようになると、ミスをすることを極端に恐れるようになります。

お客様に怒られる

上司に怒られる

役員に怒られる

株主に怒られる

人により場面は様々かもしれませんが、誰かから怒られないために余計な業務が増えてしまうことも多いはずです。

もちろん、社会人として、組織の一員として行動している限り、ルールには従う必要があり説明責任を果たさなければなりません。

ただ、そのとき真っ先に言わなければならないことを言えないことがあります。

ごめんなさいが言えない

私たちは、自分がミスをしたことがわかったときにやってしまうことがあります。

それは「言い訳」です。

子どもの頃、何か間違ったことをしたら「ごめんなさい」と言うことを、親から教えられているはずです。

しかし、成長するに従って自分のミスを認めることができなくなります。

プライドもあるでしょう。立場として言えないということもあるでしょう。

昨今の日大やボクシング連盟の事件に見るように、明らかに間違ったことをしていても責任者が謝らないと、他の人からどのように見えるでしょうか。

ミスはミス以外の何物でもありません。

そこはちゃんと認めて、まずは謝ることが先決です。

謝れば心は楽になり、その後に自分が何をすべきなのかについて考える余裕が出てきます。

しかし、多くの人は責任を回避する方法ばかり考え、心をどんどん疲弊させてしまいます。

なぜ、そこまで疲弊させるような状況に自らを追い込んでしまうことになるのか?

それは、あなた自身についてよりも、属している組織における自分の立ち位置のことを考えてしまうからです。

本当に取り返しがつかないことであれば、組織を辞めるということも選択肢に入れて良いはずです。

最悪「0(ゼロ)」からスタートすればいいのです。

でも、多くの人はそれまでに築いたものにしがみつきたいがために、必死で逃げ道を探そうとします。責任から逃れようとします。

あまりにも必死でもがいてしまうために、時に道を踏み外してしまうこともあります。

そこまで来てしまうと、もう取り返しがつきません。

認めるから信頼が取り戻せる

私たちは、ある一つの場面だけを見て「良い」「悪い」と考えてしまう癖があります。

実際に私たちが同じような状況、同じような立場に立たされたとき、果たしてミスを犯さないと言い切ることが出来るでしょうか?

少なくとも私は言い切ることができません。

人は必ずミスをするものだと分かっているからです。

古典を紐解けば、どんなに素晴らしい聖人君主だとされている人でも、完璧な人ではありませんでした。

感情に任せて失敗することもあります。

自分の考え方に固執して大きな過ちを犯すこともあります。

周囲の人間を信頼するがあまり命を落とすこともあります。

あなた自身のことを疑えというのではありません。

自分もミスをする、相手もミスをする、その事が分かっているだけで楽に考えられることが多くなるとは思いませんか?

人を責めることは簡単です。

ただ、相手を責めようとして、握りこぶしから人差し指を相手に対して向けているとき、残りの4本の指は全て自分へ向けられていることに気づいてください。

相手に対する怒りは、相手だけではなく、むしろあなた自身に対して強く向けられていることに気づいてください。

もし気づくことができたなら、ミスをすることは自然なことなのだと受け入れられるようになるでしょう。

そして、あなたがミスをしてしまったときも、潔く認めて次に何をすればいいのか謙虚に考えられるようになります。

そのひたむきな姿勢が周囲に伝わるようになり、徐々に信頼を取り戻せるようになります。

ミスをしたことを悔やむことはもう止めにしましょう。

それよりも、謝った後で、次に何をすべきか考えましょう。