(2018年10月19日更新)

「あなたは自分で意思決定をして行動していない」

と言われたら、あなたはどう思われますか?

「そうかもしれない」と思うかもしれませんし、「そんなことない!」と否定するかもしれません。

いずれにしても、今まで

「私は本当に自分の意志だけで物事を決めてきただろうか?」

と考えるキッカケにはなったはずです。

こんなことを申し上げるのは、普段の生活の中で、私たちは周りで起こることに振り回されてしまうことが多いと言えるからです。

例えば、ニュース。

テレビが取り上げているというだけで、地方の田舎で起きた交通事故一つでも、全国的に大きな問題であるかのように感じてしまいます。

勘違いしてほしくないのですが、交通事故がどうでもいいことだというのではありません。

事故にあった当事者にとっては、とても重要な問題です。

ただ、全国に放送網を持つキー局が取り上げるべき事故なのかは考える必要があるのではないでしょうか?

もし、その裏で本当に知らなければいけないことが報道されていないとしたら・・・

「疑う」という感性を持とう

勘違いしてほしくないのですが、あなたが大切に思っている人のことを疑えというのではありません。

ニュースなどのマスメディアだけでなく、普段親しくしている家族や友達の言葉でさえも、物事を正確に表しているとは言えないということです。

先程も例にあげたニュース。

本来なら国全体で問題となっていて、私たち国民が知るべきことも、私たちには見えないだけで数多く存在しているはずです。

しかし、表沙汰にでもならない限り、私たちが知ることは難しいと言えます。

いくらインターネットが発達したとはいえ、私たち個人にできることには限界があり、欲しい情報にたどり着くのに時間を必要とします。

たどり着く前に余計な情報に遮られてしまうからです。

その代表格は、芸能人のスキャンダルなどのゴシップ記事です。

芸能人の私生活がどんなに酷いものであったとしても、あなた自身の人生に何の関係もないはずです。

ところが、テレビや雑誌、インターネットで繰り返し情報がい提供されることで、あたかも重要な情報であるかのように勘違いをしてしまいます。

会社や学校で周りの人たちと盛り上がり、未来の予想までしている始末です。

あなたの人生は一体どこへ行ってしまったのでしょうか?

私が申し上げたいのは、あなた自身の人生に対して、もっと心を配る必要があるということです。

今、目の前にある情報は、あなたにとって本当に必要なものなのかどうか「疑い」を持って見てください。

おそらく、ほとんどの情報はあなたにとって価値の無いものであるはずです。

要らないものを取り除くと

あなたの周りにある情報の価値を「疑う」視点を持つようになると、自然とあなたにとって必要なものが見えてきます。

あなたにとって必要なものが見えてくると、今のあなたの状況に対して

「これでいいのだろうか」

という「疑い」を持つようになります。

あなたの今いる環境が、あなたにとって望ましくないものであるならば、あなたがどのような環境を望んでいるのかあなた自身に尋ねてみてください。

望まないものであるならば、その対極があなたの望んでいるものである確率は高いはずです。

そして、まだ十分でないと感じるならば、心のアンテナをあなたが好きなものに100%チャンネルを合わせるように、心がけてみてください。

あなたの感情を揺り動かすものを探してみてください。

人は、自らの感情が揺り動かされてはじめて行動を起こそうという気になります。

私が「考えてください」と言うことがないのは、頭でいくら考えたところで、心が動かされなければ何も変わらないことを分かっているからです。

知っているのは、頭ではなく心です。

考えるのは、感情に紐付いている出来事(事実)を思い出すためです。

まずは、あなたにとって本当に必要なものなのかどうか「疑う」ことです。